さようなら団体列車  教会長
 本部参拝の足として、各地からJR金光駅へ走り続けた団体参拝臨時列車。今年初め、金光駅へ直通する在来線の団体列車が全廃になりました。高速道路の整備により、バスや自動車参拝が増加したこと、新幹線を利用した団体参拝への移行など、時代の流れなのか、仕方ないことだと思いますが、鉄道旅行が大好きな私は、寂しさ極まりありません。

 団体列車の歴史は、120年以上前に遡ります。教祖様ご在世中の明治15年〜16年にかけて、難波初代の近藤藤守先生は、夫婦で足繁く本部に参拝されていました。とはいえ、当時まだまだ交通が整っていなかった、大阪から金光までの距離を何度も往復されるのは、並大抵のご苦労ではすまなかったのです。初めて参拝された際は、大阪から神戸まで汽車で。あとは徒歩と俥を使ってのお参りでした。片道4〜5日かけての参拝だったのです。
その後、藤守先生の元で教えを受けた信者さんが、ともに本部参拝をするようになりました。また、大阪各地の教会からも、本部参拝の方が増えていきます。

 1891(明治24)年9月に、山陽鉄道(現在のJR山陽本線)が笠岡まで開通し、玉島駅(現在の新倉敷駅)が開業すると、本部への参拝は、大阪から直接汽車で行けるようになったものの、当初は玉島駅から約6キロ歩かねばなりませんでした。その後、本部への参拝者が増加したことから、当時の山陽鉄道により1901(明治34)年8月に金神駅(後の金光駅)が本部の最寄り地に開設され、参拝が飛躍的に便利になりました。

 藤守先生は、「ご本部に参拝したいという願いをもつ人たちが心をひとつにして、みんなでお参りができたらありがたいなあ」という思いから、お参りのための団体列車を運行する願いを立てられ、その思いが実現します。以来120年間、団体参拝が列車により続けられてきました。
金光八尾高校3年生の本部参拝においても、2009(平成21)年から団体列車により参拝させていただくようになりました。しかし、コロナ禍で昨年は参拝そのものが中止、2019年(令和元年)で、列車による参拝の歴史は11年で幕を閉じました。

 子どもの頃、夜遅くに大阪駅を出発し、夜行で本部へ参拝するのがとても楽しみでした。学院時代に、秋の大祭で「駅係」としてご用した際には、上下合わせて50本以上の列車が全国各地から金光駅に発着していました。寂しさは拭えませんが、リニューアルされた金光駅は参拝者の貴重なスポットとして、地元の皆さんの玄関として、今後も活躍してくれることでしょう。



  「和らぎ」バックナンバーへ